都市型独立リーグ「関西独立リーグ」はなぜうまくいかなかったのか。

関西で独立リーグがスタートしたのは、今から13年前の2009年のことだった。IT関連の企業家を自称する人物が、すでにNPBの球団が本拠を置く阪神地区を中心とする近畿地方に「都市型独立リーグ」という新たなビジネスモデルを立ち上げるという意欲的な発想の下、初代・関西独立リーグを発足。それまで、日本の独立リーグはNPBと商圏の重ならない四国や北信越といった「プロ野球空白地帯」に拠点を置いていたが、この新リーグは「野球観戦人口の多い大都市圏にこそ独立リーグの需要がある」として、大阪と和歌山、そして兵庫に2球団の4球団体制でスタート。京セラドーム大阪でのリーグ開幕試合には、神戸ナインクルーズに入団した吉田人気もあって独立リーグ新記録(当時)となる1万1592人の観客を集めたが、この大きな打ち上げ花火がこのリーグの最後の輝きだった。関西独立リーグは、それでも2年目のシーズンを迎えたが、このシーズン途中には選手への報酬の支払いを中止。それでも、このリーグは「プロ」を自称し、2013年まで活動を続けた。おそらく軟式トップレベルとさほど変わらないところまでプレーレベルを落としたこのリーグは、5年で活動を休止する。この休止も、既存のアマチュア組織に加入せず活動を行う高校・大学との提携を模索する神戸球団の後継球団・兵庫ブルーサンダーズと、それによるプロ・アマ双方からの孤立を危惧するリーグ運営の中核を担っていた紀州レンジャーズとの対立の結果、加盟全3球団がリーグから脱退するという「お家騒動」の末のことであった。
7月のとある平日。真夏に差し掛かろうとする大阪市内のスタジアムのスタンドには、ほとんど観客の姿はなかった。今や日本一の人気球団と言ってよい阪神タイガースと、リーグ連覇を果たして急速にファンを増やしているオリックス・バファローズというNPB2球団の間で独立リーグが埋没している構図は、旧リーグから全く変わっていない。むしろ旧リーグ以来の「負のイメージ」をひきずりながら新・関西独立リーグは苦闘している。それにしても、なぜ決してプラスにとらえられることはないだろう「関西独立リーグ」の名称を名乗ることになったのか。

「負の歴史」を背負う都市型リーグの行方
…から加入予定だった三重球団が脱退。新リーグを立ち上げるなど、野球そのものよりゴタゴタ劇で耳目を集める結果となった。  関西独立リーグは、それでも2年目…
(出典:ベースボールキング)

 

 

ピックアップ記事
おすすめの記事